辰巳出版時代

 まずは、辰巳出版から。今の辰巳出版は、南原企画(旧住所)から歩いて 50メートルほど、ホモの街として世界的に有名な新宿2丁目の入り口に、デデーンと建っているでっかいビルが、辰巳ビルだ。「入り口」と書いたが、どちらかと言えば、2丁目と、外の世界の境界線の「2丁目側」に建っている。私自身は歴としたヘテロで、ホモではないから、2丁目の住人の代弁をする義理もなければ権利もない。 しかし、あえて代弁させてもらうとすれば、彼等としては、ずいぶん迷惑だろうと思う。
 しかし、そういう会社なのである。辰巳出版は。強者に弱く、弱者に強い。 2丁目の入り口の、あのでっかいビルは、そのことを象徴しているように思えてならない。

 そんな辰巳出版は、私が入った時は、四方酒店という酒屋の三階だか四階にあった。場所は同じ新宿で、日清パワーステーションのあった 交差点のやや新宿御苑寄りで、酒屋は今もある。エレベーターもなく、一方通行にどんどん奥へ進む形の狭い階段を登る。
 「よろしく」とかなんとか言いながら 編集部の部屋に入ったが、人はほとんどいなかった。妙にシーンとしている。後で聞いたわかったのだが、2、3日前に、編集部員が皆で チンチロリン賭博をやって、警察に捕まったんだそうだ。チンチロリン賭博とは、どんぶりの中でさいころを転がし、出た目で、 勝った負けたとやる。そのどんぶりの中でさいころが転がる音が、「チンチロリン」なのだ。しかし、マイナーなエロ雑誌の編集部員の賭博で大金が動くわけがない。せいぜい、千円、二千円といったところだろう。ところが、 それを毎晩やってるもので、誰かが密告したらしい。
 実は、このことは新聞にも載った。「チンチロリンで捕まる」と。警察としても、一罰百戒ほどのつもりもない、通報されて動かないとまた 何か言われるかもしれないから、とかそんな程度だろう。あるいは、単に暇だったから、とか。もしかしたら、同業者によ る通報かもしれない。この業界――エロ雑誌業界――はそんなことがよくあるらしい。
 というのは、後で聞いた話である。
 数日間の留置後、憤まんやるかたないという表情で警察から 戻ってきた編集部員たちは、その場で、真っ昼間から仕事をほっぽりだしてチンチロリンをはじめた。意地になる気持ちはわかる。 その気持ちはよ〜くわかるが、さいころを振る手がなんとなくぎこちなかった。
  辰巳出版は、その2、3ヶ月後、目白通りを挟んで反対側、花園神社のすぐ隣で、目白通りに面したビルに引っ越した。辰巳出版が本格的に つまらなくなる――流行りの2番手ではなく、3番手でもなく、4、5番手を目指すやり方――のはこのビルに移ってからだが……といって、四方酒店時代がマイナー出版社として、それなりの矜持をもっていたかというと、 それはわからない。私にとって、四方酒店時代はほとんど引っ越し準備ばかりで、 編集なんて全然やらなかったからだ。
 新ビルに引っ越して間もなく、私は、「事件記事」という実話週刊誌の編集部に配属された。渡辺という編集長に、編集部員は私と、あともう一人の計三人であった。
 週刊誌と言っても、ただ雑誌の外見が週刊誌スタイルというだけで、実際には隔週か、あるいは20日毎だったか、それくらいのペースだった。それでも、今から考えるととんでもなく早いペースだが、編集そのものは、えらく簡単である。
 まず、巻頭に4Pほどヌードグラビアがあるが、その写真は、全編集部共有の形で全部撮り溜めてあるから、その中から適当に選べばよい。
 本文は、「週刊新潮」に「黒い報告書」というシリーズがあるけれど、あのような感じの実際に起きた事件をもとにした扇情的な記事を毎号掲載する。したがって、まともに作るとしたら、複数の専門のライターを用意してローテンションを組ませ、各自じっくり時間をかけて取材、執筆するようにしなければ、まともな記事は書けないが、そんな予算はない。というか、そんな構想ははなからない。「黒い報告書風の作文」を、毎号、決まったライターに電話で「書けましたか?」と、せっつくだけである。
 原稿をせっつくのは、渡辺編集長の役目だったが、もし、締め切りに間に合わないようなら、バックナンバーを取り出し、適当に選んでページをべりべりと破り、それをそのまま印刷屋に渡した。タイトルと挿し絵を変えれば、誰も昔の記事だなんて気づかない。そもそも、毎号買っている愛読者なんかいるのか? いずれにせよ、確実に迷惑を蒙るのは、かつて自分が拾った活字をそっくりそのまま、再度拾わされる植字工である。
 「愛読者なんかいるのか?」と書いたけれど、しかし、渡辺編集長は、「不思議なことに、いるんだよ」と言っていた。 それも、刑務所が多い、と言っていたが、これは本当かどうかわからない? 今考えると、どうも冗談ぽい。というのは、とても真面目な人で、冗談をいう時も真面目な顔で言うのだ。だから、あとで「あ、あれは冗談」などと言われてずっこける時もあった。
 それはともかく、「愛読者」というのは、たしかに、どんな雑誌にも「不思議なことに」いることはいるのだ。したがって、昔の記事を再録して知らんぷりしているのは、明らかに読者に対する裏切りなのだが、この裏切りが段々多くなっていった。長年「事件記事」を作り続けていた渡辺編集長も、あまりのマンネリにさすがに嫌気がさしてきたとおぼしく、私が辰巳出版をやめてまもなく、「事件記事」は廃刊になって、渡辺編集長は営業に転身し、後に、重役になったらしい。転身が成功したわけだ。
 しかし、「事件記事」という誌名はなかなかいいと思う。いつか、使いたいと思っている。
 編集長時代の渡辺さんは、ともかく慎重だった。エロ雑誌の編集長というのは、必ず一度は警視庁に呼ばれるものらしいが、渡辺さんも、慎重に慎重に、表現を抑えて作っていたにもかかわらず、呼び出されたことがあるらしい。それ以後、慎重さに輪がかかってしまったのだ。何しろ「ぺろぺろ」も扇情的すぎると主張するくらいだ。じゃあ「れろれろでは、どうですか?」「だめ」「ちょめちょめ、は……?」「まずいなー」といった具合。「じゃあ、どうせい、ちゅーんじゃ」といった感じだったが、編集長は、「こうすればいい」と言って、ちょこちょこと直すのである。その結果、扇情的でなくなったかと言うと、私のみるところ、必ずしもそうとも限らない。「真面目」とはいえエロ雑誌を作っているのだから、根はスケベであり、それが出てしまうのだ。
 要するに、「ぺろぺろ」という表現は、渡辺編集長の脳内において、なにか特別な位置を占めていたのだろう。(正確に言うと、渡辺編集長がこだわっていた言葉は「ぺろぺろ」ではない。たしか、当時売り出し中だった所ジョージがテレビ、ラジオでよく使っていた言葉だが、忘れてしまったので、「ぺろぺろ」ということにした。編集長いわく、「テレビ、ラジオと活字はちがうんだ。活字は残る」。ま、そういうところは、たしかにある。でも「ぺろぺろ」ぐらいはな〜ということだ。)
 この辰巳出版時代に、何か身についたものはあるかと言うと、さっぱり思い付かないのが悲しいが、ただ一つある。それは、漫画の吹き出しに写植を張り付ける前、決して漫画家の書いたネームを消してはならない、という戒めである。
 というのは、同人誌なんかを作っている人はよくわかっていると思うけれど、ネームの上に写植を貼った後、はみ出したネームを消しゴムで消す。これが鉄則なわけだが、最初、なんでこんなことをするのかと思った。しかも、必ずしも消しきれなくて、校正の時に赤字を入れて、印刷屋に消してもらったりする。こんなことをするなら、先にネームを消しゴムで消してしまえばいいではないか。どの吹き出しに、どの台詞を貼ればいいかなんて、元のネームを消したって覚えているだろうし、忘れたってストーリーから推測すれば間違えないだろう……そう思って、一度、ネームを消してから写植を貼ったことがあるのだ。
 ところが、消してみてわかった。まるっきり、写植を貼る場所がわからなくなってしまった。原稿を受け取った時点で、一応読んでいるし、ストーリーも頭に入れた。それでも、どの吹き出しにどの台詞を入れたらいいのか、全然わからない。どこに入れても、それなりに読めてしまうのだ。
 焦った。消しゴムで消した跡をなんとか見つけようと、原稿を透かしてみたり、斜めにしたりして探したが、ネームは鉛筆で薄く書くのが普通なので、きれいさっぱり消えてしまっている。どう、収拾したのか覚えていないけれど、ともかく、これ以後、「漫画のネームを消してはならない」、という、編集長のいましめが身に沁みてわかったのである。
 あと、漫画のページの順番を間違えたことも一度ある。しかし、発売後しばらくたって、漫画家本人が指摘するまで、だれひとり、気づく人はいなかった。というわけで、この場合は、みんなで「わはは」と笑って、それでちょんだった。何しろ、読者を含み、漫画家本人以外、誰一人指摘する人がいなかったのだ。誰も気づかないのなら、なかったも同然。本人も、漫画家として大いに自尊心を傷つけられたかも知れないが、みんなと一緒に笑っていた。多分、心で泣いていたことだろう。
 その頃、辰巳出版の社員は全部で3、40人いたと思うけれど、仲間付き合いが苦手なので、「事件記事」のデスクのある周辺の人と言葉を交わすくらいで、その他は、隣のブロックの編集部員とたま〜に話すくらい、一番離れたブロックにいる人々とはまったく、一度も話したこともない。まるで別の会社のようだった。
 その私の狭〜い「会社内世間」で多少なりともつきあいのあった人、覚えている人をあげると、まず対面の机にいた北山君だ。彼は、元陸上自衛隊員で、北海道の基地にいたそうで、昔の呼び名で言うと、「軍曹」だったそうだ。実弾を撃ったことはあるか、と聞いたら、「おう、本土の自衛隊は実弾を撃つなんてことはほとんどないけど、北海道は最前線だからな。訓練でもバリバリ実弾射撃をするよ」と言っていた。空手でもやっていたのか、編集作業中も、いつも握力強化用のハンドグリップをコキコキ握っていた。手近にノリがないと、代わりに唾や鼻くそをつかうという、豪快というか、ばばっちい男でもあった。
 彼が編集していた雑誌(「事件記事」と同じく、活字中心の実話雑誌だった)の編集長は、名前は忘れたけれど、つけるタイトルなんかはえらくえげつなかったが、渡辺さんと同じく、とても真面目で大人しい人だった。
 出張校正(印刷所に校正にでかけること)でたまたま一緒になった時、帰りのタクシーの中で、両親を早く失ったため、幼い妹を自分が親代わりになってずっと育ててきたこと、今もアパートで二人暮しであることなどを、ため息まじりで話してくれた。今考えると、その妹さんというのは、もしかしたら障害を持っていたのかも知れない。でないと、あんなに深刻な顔で話すことはなかっただろう。
 この編集長と北山君の組み合わせはなかなか名コンビで、北山君は、時々、写植屋や印刷屋を呼び出し「○○さん(編集長)がいくら大人しいからといって、つけあがるんじゃねえ!」とか言ってどやしつける。すると、編集長が「まあまあ」と言って割って入って話をおさめる。編集長が「切れ」てしまうと、ちょっと修復が難しくなるようなこともあると思うけれど、「切れた部下を編集長がなだめる」というやり方なら、出入り業者には言いたいことを言え、しかも難しい状況は避けられるだろうし、うまい方法だと思う。
 我が渡辺編集長は、この辺りはどうかというと、「おたくねー、困るんだよ。これじゃあ仕事出せないよ」とねちねち執拗に、陰険に言う。本当に怒ると、外見上は逆に、かえって静かになる人がいるが、渡辺さんは、多分、そういう人だったのだろう。
 あと、編集部員ではないけれど、描き文字屋さんに凄い人がいた。
 「描き文字屋」というのは、記事のタイトルや小見出しを手描きする人のことで、写植の書体が増えるにつれて衰退していった職業だが、当時は戦前から続けて いるおじいさんなんかが結構いた。今は、必要な時は、デザイナーが自分で描いているのではないかと思うが、本来、デザイナー仕事とは一味も二味もちがう、泥臭さが魅力だ。
 で、この「凄い描き文字屋」とはおじいさんではなく、まだ二十台の若者だった。仕事の質としては、正直言って、戦前から続けているようなベテランの「味」はなく、私はあまり注文したことがなかったけれど、ともかく、どんな無理な注文でも絶対に断らない。徹夜してでも大量に仕上げて、翌日、ふらふらになって届けに来る。びっくりしている私に、渡辺さんが、「彼の奥さんはすごい美人なんだけど、その奥さんに、必ず家を建てると約束して結婚したんで、がむしゃらに働いているんだ」と教えてくれた。
 聞いて、二度びっくり。いや、もちろん、奥さんのために身を削って家を建てるということは、非難すべきことでもなんでもない。ただ「描き文字」で家を建てるということが、果たして可能なのか?と思ったのだ。銀行から借りるとしても、当時、すでに滅びつつある職業であった「描き文字屋」に、家を建てるための金を貸してくれる所なんてあるだろうか。だとしたら、現金で買う他ないが、しかし(よく覚えていないけれど)小見出し一本描いて、せいぜい五百円くらいだったと思う。気の遠くなるような話だ。
 その「美人の奥さん」は、何度か、夫の描いた「描き文字」を届けにやってきた。好奇心の強い私は、「どれどれ」と件の奥さんを見に行ったが、いや、参った。本当に凄い美人だった。あまり「素人」には見えず、年も夫より大分上のような感じだった。(正直言って、親子のような感じがした。)しゃれた風呂敷に、版下を丁寧に包んであったりして…なんか、こんな人情話があったよなあ。「高尾」だったっけか。大名しか相手にしないような高級遊女の高尾を見初めた貧乏人ががむしゃらに働き、溜めた金で高尾と一晩を共にする。高尾は、男の誠意にほだされて…という話だ。
 この若い「描き文字屋」は、私が辰巳出版をやめる頃、実際に家を建てた。ツ、ツゴイ。

 申し遅れたが、辰巳出版の社長は「広瀬」といい(下の名前は忘れた)、出版業界で1、2を争う金持ちという噂が当時からあった。看板雑誌なんか皆無の頃でさえそうなのだから、車雑誌、パチンコ雑誌、さらには愛犬雑誌(辰巳ビルのショーウィンドウに「SHI-BA」という雑誌のポスターが飾られていたのを見た事がある。柴犬の専門誌らしい。見た時は、正直いって「やられた」と思った。別に、柴犬誌を作ろうと思っていたわけではないが……)でしこたま稼いでいる今は、もっと金満家になっていることだろう。
 専務は中村さんといい、真っ黒で干涸びたように痩せた人だったが、ゴルフがプロなみにうまいという評判だった。その子分のようにくっついているのが一人いて、周囲の話では、専務の郷里(鹿児島)の後輩で、ごますりと宴会好きというだけで社内の位置を保っているという、サラリーマン映画に出てくる道化役そのものの人物だった。
 薄い色のついた強い度入りの眼鏡をかけ、横山やすしが着ていたような派手派手の、たとえば草色と茶色のストライプ入りのスリムなスーツなんかを着込み、かなり薄くなっていた頭をポマードでべったりなでつけ、一日中、こっちの編集部、あっちの編集部と渡り歩いて、バカ話ばかりしている。そして、社長が現れると、さぼっている弁解もせず、機関銃のようにごますり文句を並べ立てる。ともかく、「本当にこういう人っているんだ」とあきれるのを通り越して、感心したものだった。社長も専務も、この男はそういう役割だとあきらめている様子だったが、退社後、しばらくして聞いた話では、重役になったらしい。私のいた当時はまだ独身で、(グラビアの)モデルを紹介しろ、紹介しろとうるさかったが、重役になれたんだったら、きっと結婚もしたんだろう。中村専務も、この不肖の後輩の身をなんとか固めようと腐心していたし。
 こういうのどかな(?)社風が一変したのは、名前は忘れてしまったが、漫画専門の編集者を他社からスカウトしたのがきっかけだった。
 スカウトしたのは、多分、当時新しく編集局長になった沢柳さんという人だったと思う。沢柳さん自身はあきらかに「活字派」の人で、この業界によくみかける「元文学青年」の雰囲気の色濃い人だったが、編集局長に就任して、これからは、「実話雑誌」中心ではやっていけないことを実感したのだと思う。また、沢柳さんは、その温厚な外見にかかわらず、「おま○こ」を平気で活字にして、警視庁にしょっちゅう引っ張られていた。そういったこともあって、「活字」を見限ったのかも知れない。
 ともかく、その後の辰巳出版の発展を見れば、今でこそ、マンガに限らず娯楽総合雑誌を中心に業績を伸ばしているようだが、当時としてみれば、「漫画専門の編集者の招聘」という決断は正しかったと思う。
 その新しくやってきた編集者の机は私と背中合わせの場所だったので、結構よく雑談をしたりしたが、仕事ぶりが、それまでの辰巳出版の編集者とはまるでちがう。なんか、「バリバリ」と音を立てて仕事をしていた。といっても、漫画の編集は、机に向かうのは最後の台詞の貼り込みくらいで(これが、みかけよりずっと大変なのだ。私は、大の苦手だった)、後は電話をかけたり、作者と打ち合わせをしたり、それが済むと、後は他社の漫画雑誌をぱらぱらと見たりといった程度なのだが……でも、仕事ぶりの「シビア」さが、背中から「バリバリ」と、音をたててこちらにびんびん伝わってくるような感じがした。……一方、私はエロ漫画の編集には興味がないし、またできもしない。というわけで、若干焦りながら、複雑な気持ちだった。沢柳さんも、きっと同じ気持ちだったのではないかと思う。
 大事な人を、一人、書き残していた。それは、私にとって大変に重要な人なのだが、長谷川という人だ。頭は五分刈り、ドロップ型のサングラスに、ダブルのサイドベンツのスーツ、ダボダボのズボンに細いベルト、スリップオンの白い靴をべたべた鳴らして、毎日、昼過ぎに、重役出勤してくる。
 となりのブロックでグラフ誌を作っていたが、編集長というわけではなかった。しかし、編集長をしのぐ力をもっているようだった。なにしろ、ポルシェで出勤してくるのだ。本人に言わせると、七百万で買っても、七百万近くで売れるから、クラウン、コロナなんかを買うよりいい、というのだが……。
 仕事は、「辰巳出版の用心棒」じゃないのかと、最初思った。実際、トラブルがあると、長谷川さんの出番だ。「てめえ、ふざけんじゃねー!」とか言いながら、相手の身体すれすれのところで、後ろの机を思いきり蹴飛ばす。まるで、や○ざ……本当にそう思ったが、じゃあ、本づくりの知識なんかないかというと、そうでもない。結構詳しい。不思議な人だ。社長ともため口だし……。
 この長谷川さんとは、二、三年前、新宿の街角で偶然出くわした。その時の話では、今も出版関係の仕事をしているが、某劇団に所属して役者もやってるんだ、と言っていた。「悪役商会ですか」とは聞けなかったが……芝居に興味があったとは知らなかった。
 まあ、いろいろあることないこと、いや、記憶にない事は書いていないが、辰巳出版社員の名誉のために言うと、お行儀のよい人たちだった。長谷川さんは、有志(?)数名を引き連れ、時々韓国へ行って遊んでくるらしかったが、社員旅行などでは、旅館の仲居さんがびっくりするほど、お行儀が良かった。(あと、もう一つフォローしておくと、今、辰巳が発行している雑誌の奥付などを見ると、チンチロリンで捕まった人の名前がよく出てくる。辰巳出版のルーツは、やっぱりあの四方酒店時代にあり、それが今も生き残っているのだなと思う)
 広瀬社長は、社員旅行が大好きで、結構豪華な計画を立てる。韓国ということはなかったが。「なんて、お行儀のよい」と言ってくれた仲居さんに、「お行儀の悪い人って誰ですか」とインタビューしたら、それはもう、断然、学校の先生だ、と言っていた。あと、警察の人とか。
 なるほど、それはわかる。エロ雑誌の編集者がお行儀が良いのは、普段、ヌードグラビアの校正なんかをしていると、グラビアの艶かしい裸体が、「網点」にしか見えなくなってしまうのだ。読者はきっと、これを見て、○○○ーなんかしてるんだろうが……網点に見えては、それもできない。扇情的な文章にしても、それを書いたおっさんの顔がちらつく。
 それが習い性になってしまって、たとえば、芸者をあげて遊んだとしても、その芸者が「網点」に見えてしまう。というのはオーバーだが、一種、同業者に見えてしまう。
 もしろん、芸者をあげたことなんかないから、仮想の話だが、要するに、そこに「裏」が見えてしまうような気持ちになり、すっと気分がひいて、どんちゃん騒ぎができなくなってしまうのだ。それに加え、私は、酒が飲めないので、どんちゃん騒ぎもなにも、そもそも関係ないのだが、宴会に招かれた芸者がエロい遊びを仕掛けても、ある程度は乗っても、それ以上には及ばない同僚たちを見ていて、そう思った。
 もちろん、他の出版社のことは知らない。もしかしたら、そんな感覚をふっきって、はめを外しているかもしれない。

 ところで、先に書いた「長谷川さん」が、私にとってなんで「重要な人」かというと、辰巳出版をやめてぶらぶらしていた私に、「宇宙戦艦ヤマト」の公式ファンクラブの機関誌の編集の仕事を回してくれたのだ。……んー、良かったのか、悪かったのか……ともかく、それ以来、ずるりずるりと……。(とりあえず、辰巳出版時代は、これでおしまい)

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